Kazyの日常日記

2021-12-04 : before special things become nomal things

 よく思う事として、今普通ではないことといういわゆる特別な事がいつかは普通化してしまうという事がある。

 何でこんなことを思ったのかというと、新しいことを取り組んだ後、その次の機会にそれをするとなった時、その新しいと思っていたことが全然新しく感じないと感じてしまう時があるから。


 当時今年の3月、バイクを納車して、早その年が終わろうとしている最近、よく思うことがバイクを所有していることがとても羨ましくて、納車する前はとてもウキウキしていた。ただ、今では、そのウキウキがバイクに対するウキウキではなくて、愛情へと変わっている。

 いわゆる納車という一瞬で終わるイベント(特別なこと)がいつも思ってしまう愛情(普通なこと)へと変わってしまったのである。


 私が言いたいのは、その特別なイベントというのは、その瞬間でしかないということ。2回目以降は普通化されてしまうため、特別感は感じない。

 そんな一瞬で終わってしまう特別なイベントというのを無駄にしないために、その瞬間をどうにか自分ができる方法で残してあげるべきだと思う。

  私の場合、それがこのブログということになる。思ったこと、発想した事を何らかの形ですぐに可視化している。

 それがブログだろうが動画だろうが、写真だろうが関係はない。何だっていい。

 その瞬間がいつか普通化された時に、当時の自分が何を思っていたのか、どんなことを考えていたのかをそれを見ること聞くことを通じて思い出せばいい。

 人はいつか死ぬし、記憶だってすぐに上書きされる。全ての記憶を何もなく思い出したり覚えたりすることは絶対にできない。だったら、例えば300年前の過去の人物が未来のために書物を残すことはない。


 そういった話で言うと、結婚だって同じ。夫婦になるというのが普遍化されて、浮気というものがあるんじゃないでしょうか?はたまた、働くということが普遍化されて、その他の働き方なんで眼中になくなったりするんじゃないでしょうか?

そう。そういうのが、普遍化されていくことって実は結構怖いんです。

もしかして、その恐怖が普遍化されて、もうその恐怖が当然と思い込んでしまっていたりして。

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