Kazyの日常日記

2021-11-01 : Think of your future (or not)

 世の中の中で、人を2つのグループに分割することなんてできない。

 今、11月だけど、頭の中で思い浮かんだのはかき氷。かき氷のシロップなんて、あんなの色が違うだけで、味は同じ。”色”という条件を足してあげるだけで、区別できないものが出来るようになる。

 そこで、人の分類にもある条件を足してみようと思う。それが、

「20年後の自分を見つめているか、否か。」

と言うこと。意外にいそうな気もしなくもない。

 どうしてこの話になったのかと言うと、先日、16年来の友達と、お酒を囲んだ時にこう言う話が出たからだ。大まかについては、就活の話。

 10年後の自分(私は今22歳なので32歳)なら見つめてこう言うことがしたいとかあるかもしれない。結婚して、子供ができて、こう言う未来を見つめてるんじゃないのかなって思う。まだ、希望があって、その希望の中で優先順位をつけていって、どれかを捨てなければない年齢層。

 20年後の自分はどうだろう。42歳に何をしようなんてあまり考えれないんじゃないのかなって思う。例えば、子どもの話だと、運動会とか参加したり、文化祭に参加したり。そう言うことしか思い浮かべることしかできないんじゃないのかなって。あんまり自分のこと考えられない時間が多いと思われる年齢層。

 では、老後の自分なんてどうだろう。そもそも考えている人はいるのだろうか。私は老後どうしたいとかもう決めているので、少数派の方にいるんだが、多数の人は老後なんて考えてもいないだろう。

 流石に老後に関してのどうしたいだとかを考えている人について考えるのは少しナンセンスな感じがする。やっぱり人を二分割に分けることができるかどうかが一番合理的な気もする。

 老後のこと、ないしは、10年後20年後の人生を見据えることなんて20代だったらいつでもできる。

 頭の中にいつも念頭に置いていることがある。それは人間いつかは死ぬということ。

 それこそ平均寿命が伸びていると言われているが、年齢を重ねるごとに死に近づいている。

 生きているうちに何ができるだろうか。そんなことを明日死ぬかもしれない人が考えることのように考えている。

 目先の目標を追うだけの人生なんて全くつまらない。100万円手に入れたって100万円の買い物するんじゃなくて、その100万円をどう使って20年とか30年とか長いスパンでいくら増やすことができるかを考えた方がよっぽど楽しい。

 それとか、言われたことしかしないとか、そもそも”考える”ことがない環境で学生をしたり、社会人として社会の糧として働いているだとか。本当につまらない。

 そうならないようにも最低でも20年後の自分を見つめていたい。

 そうすると何がいいかって、自分に得する目標ができる。目標を遂行するってとても難しく、でも楽しいもの。ダイエットとか、それこそ長期投資とか。

 自分の将来を見つめることがいかに重要か、そして見つめていない人が意外に多いと言う真実をもとに、その会話を楽しんだ。

 かき氷は買って食べ始めはいいけど、長期的に見れば最後溶けてくることがわからないような人生は、いやとしか思えない。

 そんなこと思ってしまうのは、11月なのに暑いからだろうか。

コメント

スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました