Kazyの日常日記

2022-2-15 : Sense of Values for others

 価値観とは何か。

 よく友達との会話でも「価値観が違うから彼氏/彼女と別れたんだ」だとか、「価値観が違うから面白いね」だとかを耳にする。

 「価値観が違うから。」という言葉、実は、少し私の中で理解ができない言葉の一つである。なぜ理解ができないのかと言うと、それは、他人は他人だから。考えが違うのは至極当然だから。会話を遮ってまでその言葉を発するのは、コミュニケーション上、言葉のキャッチボールができなくなる時点であまり理解ができない。ということ。

 当然、価値観というのは、人によって変わる。例えば、何も考えずに生きている人もいれば、20年後の先を見ている人もいる。生き方という考えという狭い括りの中でも多種多様にある。

 私は、価値観が合う人なんてなかなか会えるような気がしない。なんなら全く同じ価値観を持った人というのは絶対にこの世にいない。

 この世の中で価値観が合う人は、せめて確率的に出会う人の10%を占めれば、もうそれは大万歳。この価値観というのはある種の狭い価値観の一部。とても限定的でそれ以上細分化できないようなもの。そこまでしないとその10%な人とは出会えない。

 その10%の人との会話は途切れることなく、その狭い括りの価値観の中では話は必ず楽しくなるに違いない。


 しかし、残りの90%は残念ながら価値観が合わない人。

 誠実な恋がしたいのに、あざとい女性との恋なんて成熟するはずがない。デート中に腕の袖を引っ張っておねだりするだとか、お酒を飲んだ勢いで横に座っている彼氏に倒れかかったり。”恋”という狭い価値観の括りの中でもさらに細分化しないと、同じような価値観を持った繋がりがわからない。そんな恋が成熟するはずもない。同じ価値観ならそんなことを気にしないと思う。そう。その人は残りの”90%”だから。

 恋についてはよくあるのが、結婚相談所だとかマッチングアプリだとか。これについては、価値観が同じという条件を元にマッチングしていくわけだけど、本質を掴めば、これはなんだか悪手な気がする。

 これらの本質については、そもそも「遊び」なのか「本気」なのかが分からないというのがある。体の関係を持つために本気になるなら、それは男性諸君は年会費を払ってまでそういうのに登録すると思う。そういう人を何人も見てきた。

 たぶん大多数がなんとなく始めたきっかけの薄いコミュニティなんだと思う。そして、そういうところに登録するような人たちは、これまでにその10%を見つけることのできなかった残りの人たちの集まりになる。本気の中でも遊びという人はかなり多いとは思う。

 また、そういうコミュニティに登録するというのはある種”負け組”というレッテルを自ら自分の額に貼り付けるようなもの。10%に出会えなかった集団というレッテルだ。

 負け組同士でそんなにあれこれやっても、そんな”恋”という狭い括りの価値観の中でその10%を探すというのは少し難易度が高い。そもそも出会った機会はあったが、価値観が特殊過ぎて合わなかったという人もそのコミュニティでは多いはずだ。そんな特殊な価値観を持った人の集団では恋なんか成熟するはずもない。

 良い男性/女性というのは、そんなもの使わずとも必ず結婚していたりカップルになったりしているのが現状。出会える割合は変わらない。

 出会えてる人はその10%に既に出会えてる。


 そんな10%の人たちと出会うために、そういうことにお金をかけるんじゃなくて、自分の価値観を具現化させるのが一番良いと思う。カフェだったり、カメラだったり、服だったり。まず具現化する。

 そして、いろんなことに挑戦する。いろんな物に触れて、自分の価値観というのを木の枝状にどんどん伸ばしていろんな方向に飛ばす。すると、価値観が合う人の割合が10%と変わらずとも、人数は増えていくはずだ。

 次に、インテイリアが好きな人は行くカフェだっておしゃれなところに行くし、お酒が好きなら気分の乗るバーに行ったりするので、その環境の中でひたすら色んな人話す。環境は唯一、具現化された価値観のマッチングの場となっていると思う。

 そしてその10%を掴むためにひたすら待つ。

 今が良くなくても、もし10年後が幸せだったらという想像をする。そうすると、その今の記憶というのが全て良い方向に変わる。いわゆる未来記憶というものだ。因果関係は未来が良ければ人間幸せに生きることができる。つまり、物事はすぐに始めて将来を見据えて長期的に進めるが良い。


 もし、10年という期間で長期的に行動した結果、その10%が見つからないのなら、それは自身の性格上、独り身が良いということになる。意識は誰かといたいとなってるが、本心は一人で良いということになる。

 その10年という長期間の行動をやってまででも「まだ運命の人とは出会えてないの。」という言葉を発して時間が刻一刻と過ぎていく人生は誰でも嫌だと思う。それならその時間を新しいことに挑戦したりだとかに使った方がよっぽどマシだ。時間は有限だし、”時間”はそんな10%と出会えた人とですら同じ条件で分け与えられている。


 出会う人全員と仲良くするなんて少し気が遠くなる。

 実際に成功者の人たちは孤独な人が多いそうだ。人口と比べてもそりゃ価値観が合う人なんて多分出会わないだろう。成功者なんてほんのひと握りなんだからまず母数が少ない。成功者の生き方を見てみると無駄がない人の付き合いをしているのが多数だと思う。

 なにが言いたいのかというと、「なんとなく一緒にいる」というのが正直一番辛い現状だということ。”なんとなく”というのは10年後20年後にとんでもないものになりそうな気がする。

 私の幼稚園からの親友2人は、ちゃんと理由があって一緒にいる。価値観が合わないのが前提とわかっている人で、尚且つ、唯一心のゆとりを与えてくれる存在だから。もし仮に、私の性格上、必要ない人だったらすぐに切り捨てる。しかし、そいつらはそんなことはなかった。

 もし仮に、あなたにそういう人がいるなら自分に問うてもらいたい。「なぜ一緒にいるのか」という。多分なんとなくという理由は必ず無くて、気づけなかったその人の良さというのがわかってくる。

 そういう人がその価値観が合う10%の人たちなのだ。


 価値観が違うことによって世の中のアイデアというのが多種多様に広がっていく。狭い括りの価値観というだけで90%も価値観がずれている人が居れば十分だ。

 自分が平均値だと考えて生きるとかなり楽になりそう。周りにはそういう人もいるんだって割り切れるし、尚且つ自分が平均ならその周りには自分と似たような人しか集まらないように世界はできている。

 他人は他人。考えも多種多様だと考えると、価値観という言葉はなんだかこの世にあって良い言葉なのかと思う。

 ちゃんと他人を理解して、こういう人なんだというのを理解することがある種、”価値観”を得るという動作を正しく説明できる言葉なのかもしれない。

Kazyの日常。#愛車のある暮らし

 福岡県の国立大学生。20歳でカナダのトロントに1年間語学留学した後、50年後の自分に今の考えを残すためにブログ活動を開始。2022年現在で2年目のブロガーとなりました。

 好きなバイク・DIY・カフェ・自己啓発などを主に執筆。嬉しいことにインスタや記事内のコンタクトフォームにて多数のコメントをいただき、楽しく毎週執筆をさせていただいております。

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