人間にしかできないこと。これはたくさんあると思う。対象物を機械やコンピューターとして話していきたいと思う。
人間とは、すぐに物事を忘れ、ミスを犯し、色々と不都合なことばかりだなと思う瞬間が多い生き物だと思う。さらに、性格というアイデンティティも持っているため、それが良いのか悪いのかというのが人によって捉え方が変わる。
良い言い方をすれば、物事を多角的に見つめて、その見つめた先を言葉として空気を伝って相手に届き、さらにその考えを聞いた側が理解して考えて。その考え一つだけで、これだけのアイデアが生まれるというのは人間だからできるということ。
機械やコンピューターも人間が作り出したもの。
言うなれば、考えを落とし込んだ先に、さらにその先のクリエイティブな作業をこなすために、と色々な人間のニーズに答えてくれる優秀さを誇っている。
寸分の狂いなく精度を上げた機械だって作れるし、自動であればミスをすることもない。人間には足りないものを補ってくれている。
しかし、最近よく思うのが、それらの機械によって人間の良い部分である「性格」というものをひん曲げてしまう可能性があるのでは無いかと思う。
一番代表的な例が「YouTube」。
ここ10年くらい前から流行り出してきた動画サイト。これは、正直今のYouTubeは盛り上がり方が下品な気がする。特に「炎上系YouTuber」というのは、それを観た人が「この人常識無いな、、」と必然と思ってしまう。
人間というのは、1日に判断できる回数も決まっているし、アイデアが出てくる上限すらも決まっている。それなのに、その人たちによって考える回数を費やさなければならない。
これはいささかどうなのかと思う。
もちろん、YouTubeの他のジャンルはとても助かる。おすすめの本を要約しているものもあるし、曲だって無料で聞けたりする。とても良いサービスだと思う。
YouTuberの母数が増えると正規分布に従って、いろんな人が生まれてくるのが当然なので、何も悪いとは思わない。なんなら世の中のものは全てそれによって成り立っている。
全てが良いものだと、良いものどうしで勝負をして、良いものの中で悪いものとして扱われる。たとえそれが普通のものだったとしても、悪く言われてしまうのが必然なのだ。
なので、全てが良いと逆に不都合になる。悪は良を立てるために必要なのだ。
悪いものがいるからこそ、良いものが立つという考えもある。いわば戦隊モノだ。
一人しかいない悪者を「悪」として認定し、それを5人くらいで集団で倒しにかかる。見方を変えれば、これは暴力を正当化しているのに匹敵する。悪いものがいるから、戦隊は悪者を蹴るのも殴るのもありになる。
しかし、もし悪者も生きていくために必要でやっているなら別に悪いことではない。なのに殴られたりしているのは少々心が痛い。
なので、学校でも少しでも悪いことをすると、殴られるというのが正当化された考えが”テレビ”というものを通して、性格が曲げられるのだ。もしかすると、これがいじめの原因かもしれない。過去に殴った人たちに謝りたい。
単純に考えて、それを観ているのが小学生だとしても、他人を殴ったりするのは良くない。なのに、それを正当化しているこの”テレビ”というのがいかに良くないかが分かる。
コンピューターや機械によって、人間側が洗脳されているである。
人間にしかできないようなこと『アイデア出し』というのを持ち上げて、機械を媒介し、人間同士でこうやって考えをぶつけ合うのは良くない。
これは、機械やコンピューターによって考えや人間関係を壊してしまうのではないかと思う。
こうやってブログを書いている私すらも、こういったことを意識している。人間同士で潰し合いはしたくない。
人間しかできないこと、コンピューターや機械でしかできないこと。この考えをしっかりと持って生きていきたい。
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